心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

ぼくがかんがえたさいきょうのカーズ!「JORGE JOESTAR」感想

JORGE JOESTAR

JORGE JOESTAR

途中まではそれなりに面白かったのだが、読み進めていくうちに、なんか……。
もはやプロの方が書いた作品というより、いわゆる中二病をこじらせた学生が勢いでたっぷり枚数だけ書いちゃった、みたいなムードが全体に漂う。


酷評を受けた理由も分かってしまう作品だった。


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端的に言ってしまうと物語中盤までは「これ題材がジョジョじゃなくてもいいじゃん」であり、後半は後半で「いくら好きに書いてもいいといわれたとしても、やりすぎてジョジョの世界が台無しじゃん」であった。


「宇宙が36巡する」とかはまあいいんです。その結果として原作第3部、空条承太郎に敗れたディオが「本物が目的を達するために作り出したニセモノ」という話になっているのが個人的には許しがたい設定だったりして。他にも7部の聖なる遺体の正体がディオとか、ね。
いくらなんでも荒木先生が作った、言わば正史みたいなものを全否定するのはどうなのさ?と思ってしまった。


物語の構造自体がそもそも分かりにくく、主人公は二人のジョージ・ジョースターで、彼らは異なる巡回の宇宙に生きていて、でも彼らはタイムトラベルやら宇宙自体の移動やらを繰り返し交差しつつ、まさに「奇妙な冒険」をすることになるのだけれど、もうこの辺がめまぐるしすぎて途中から訳が分からなくなってくる(・・・私の読解力の問題、では済まないぐらいではないかなあ)。
第一これが物語に深みを与えたりしているってわけでもなく、終盤になってその真実が分かってのアハ体験などもなく、そもそもこの内容(極めてエンターテインメント化した内容の物語)においてこの手法をとった理由が全然見えてこないと言いますか。


結局36巡する世界をすべて生き延びてすさまじい力を得た究極生命体カーズの協力もあって、同じく究極生命体となった「ホンモノのディオ」を倒し、ジョナサン・ジョースターは蘇ってハッピーエンドみたいな終わり方だったけど、正直読んでる側からするとポカーン。カーズの行動原理がもう全然分からんし。


なんか14~15歳くらいの子が書いた「ぼくのかんがえたジョジョ」が最低限の推敲とチェックを潜り抜けて発売された程度の印象でしかない。なんとなく文章の表現も浅い気がする。ラノベテイストで書こうとして失敗したような雰囲気が全体に広がる。


言い出すときりがないんだけど、なんか改行も少なくて字が詰まりすぎてるのが個人的には読みにくくて仕方がなかったし、「♡」を突然使って来たりして表現的にもペラいっつーかしっくりこないし、もうなんというか他の小説も同じようなスタイルであるのならば私は根本的に舞城王太郎さんの小説と相性最悪なんだろうな、と思った。