心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「幸福の条件は一人一人異なる」という当たり前で忘れがちなこと

幸せの絶対条件?思い込みと幻想が幸せになれない理由かも - 能面ヅラ美
読ませて頂いた。


こうして文字に起こせば当たり前っちゃ当たり前なのだが、高校〜大学と進学し、安定した企業に就職したりあるいは公務員になり、安定した収入を得ながらパートナーと出会い結婚して、子供が出来て……みたいな。

これは言ってみれば幸せでもなんでもなく「現代において平穏に生きていくモデルタイプ」みたいなものであって、これとこの多少のアレンジでもって、なんとなく「幸せ」を定義していやがるのがメディアとかいろいろってことだろう。


少なくとも私にとっての幸せに「安定した収入」だとか「結婚」という要素は上位に上がってこない。
上がってこないどころか、結婚に関してはしなくていいと思っているし彼女も今の所は欲しいとも思わない。



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本当に当たり前のことを書いていく。

「幸せ」とは一人一人がてめえで決めるものだ。


だから安定した収入を得ながら家族と穏やかに暮らすことが幸せな人間がいる一方で、死ぬまで一人で送るような生を送ることが幸せな人間が(少ないとは思うが)いる。


基本的に社会やメディアというのは、マイノリティを排除するように動く。
国は就職した人間のほうが色々とやりやすいし(だからフリーターの多さが問題に挙げられたりする)、メディアだって利益を上げるために多人数のほうをターゲットにした情報を発信する。
毎週地上波で野宿旅をお送りする番組があっても、そこにバラエティ性がないガチのものだったらまず視聴率は取れないだろう(私は毎週欠かさず観そうだが)。



一度どこかで立ち止まって、「自分にとっての幸せ」と向き合うべきなのだと思う。それはいつでもいいけど、個人的には早い方がいい。私の場合は中学生のとき、そして大学生のとき、この二つの時期に向き合った。



地位とか金銭とか家庭とか、一般に言われている「幸せ」の要素が、果たして自分の幸せにとって本当に必要な要素なのか?
私の場合はどれも不必要な要素であり、最重要項目は「自由」であることに気が付いた。
そのうえで、その自分の描く「自由」というカタチをフィルターとして、金銭や社会や家庭というものを考える。

そうするとクリエイトするという自由さから今している「調理」という業務はしっくりくるし、金銭はたまに行く一人旅と普段の生活ができれば構わない。家庭は私の自由を否が応でも狭めるので持ちたくないし・・・と、いろいろと定まってくる。


「家族が欲しい」とか「出世してお金が欲しい」とか、それ以前に自分自身のなかの幸福を、なんというか概念で説明しておく方がいいと思うのだ。

空の境界」でいう起源的な考え方でもある。

自分を突き動かす根本的な衝動は何か。もっとも敏感な五感は何か。
「正義」を挙げる人は警察官を志したりするだろう。
「とにかく食べることが好きなんだ」という人は料理人になったり、あるいはグルメ雑誌のルポライターを目指すかもしれない。


私の場合は「自由」である。「自由であること、自由であろうとすること」が幸福の絶対条件である。


みなさんの「起源レベルでの」幸福の条件はなんだろうか。
それを見つけない限り、本当の幸せなんて見つからないと思う。