心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

続・恋愛感情欠落者の考え方~その根源の考え方まで

なんだか妙に当ブログのアクセス数が増えてきて、ちょっと追いかけてみたら

恋愛感情欠落してる人って意外と多いと思ってる - 「げ」の一歩 改

この記事がブーストしてくれたらしい。
それなりに共感や反論が頂けたのかな、と思う。


自分で読み返してみて、さらに書きたいことが出てきたのでちょいと筆をとることにする。


とりあえず「いや、恋愛感情と友情とは異なるもんだろ!」みたいな意見の方も多数いらっしゃると思うので、そのへんから考えてみたい。

結論から言えば、そう思っている人にとってはそうでしょうね、としか言えない。
別に私はそれを否定してはいない。記事を読み返したら否定的に書いているけど、それは読んでくれた人に疑問を持ってほしかったという面もある。
先の記事を読んだ上で「この恋愛感情が根源的な本能によって引き起こされたとしても、それでいい」という人はそれでいいだろうし、むしろ普通はそんなことをわざわざ考えないし、それどころか一般的な人間にとってはそれがマジョリティだと思う。


私はあくまで自分と同じような感覚を持っている人、その中でなんかもやもやしていてうまく自分の感覚が説明できない人、そんな人に対して自己理解の一助にでもなればいいなという感じで先の記事を書いた(とか書いているが、本当は私自身の内面整理がメインであるが)。


「恋愛感情と友情とは異なるもんだろ」と考える人と同じように「恋愛感情と友情を分けて考えることができない」人もいることを、そもそも置き去りにして考えている人がいるのがなんかねえ・・・である。自分の考え方を他の一般として当てはめるようなスタンスは気に入らない。


複雑なことを単純化して考える以上の賢さ: tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃)
こちらの記事がちょっと面白かったので紹介しつつ。

「異性への好きは恋愛」「同性への好きは友情」「食べ物への好きは好物」
こんな風に感情をカテゴライズすることは、一見物事を理解するのに有効な「分解」というプロセスのようにも見える。

だが、人によってはこれは間違いなく「複雑化」である。本質である「好き」ということ自体がぼやけていくような、そんな感覚が私には芽生えていく。



自分の話&恋愛感情の話から離れるけど、やはり基本的には「快/不快」というシンプルな柱でいいと思うのだよ、計測するべきものに関してはすべて。
しかもこの「快/不快」という計測機器は、数字や言語では計測できないようなものまで感覚的に測ってくれるのだから。


私は数学が嫌いだった。それは「答えが一つしかないから」だった。
そして、今は哲学が好きだ。それは「答えがないから」だった。

この感覚って、今の自分にも大きくフィードバックされていると思われる。


「恋愛感情だ!」って明確な答えがでるわけねーだろ、人間の心がそんな簡単に言葉で説明できてたまるか。
そんな気持ちもどこかにあるのかもしれない。