心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

アニメ「lain」感想

アニメなんだけど、クオリティが映画クラスだと思ったのでそういうカテゴライズで。


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正式名称は「serial experiments lain」。
1998年にテレビ東京にて放送された、カルト的人気を誇ったアニメだ。


リアルワールド(現実)と、ワイヤード(インターネット世界のようなもの)の境界が曖昧になり互いに干渉しあっていく様子を、その当事者として巻き込まれた少女・岩倉玲音(いわくられいん)の視点で描く。
なんだか現代のネット社会にも警鐘を鳴らしているような、深い深い作品だった。



テーマは「人と人の繋がり」だと思った。



終盤で明かされるのは「レインという人格は、そもそもワイヤードで産まれた」という事実。
それを人造生命体に人格としてインプットして産まれたのが、リアルワールドの「岩倉玲音」だ。

そんなわけでリアルワールドでは全然喋らない内気な少女だった玲音(おそらくワイヤードで育ったので、データ化されていない情報をうまく処理できないと推測できる)も、ある事件をきっかけに電脳世界「ワイヤード」に触れるようになると、恐るべき速度で親和性を開花させていく。最後には自分の耳や唇にコードを噛ませてワイヤードに接続するという、自分の肉体そのものをデバイスにするところまで行っちゃいます。このシーンはなんか泣きそうになったな、哀しくなる。


はじめはワイヤードにどっぷり浸かっていくことで本来の自分ーワイヤードで産まれた自分ーとの結合が行われていくのだが、その先にリアルワールドの大切さを知るに至る。



人の記憶は記録と同義である、という世界観の物語の中で、玲音は電脳世界の記録を記憶として生きていた逆説的な存在。
人々が感情などをワイヤードにおいて「記録」にする中で、岩倉玲音はそもそも「記録」だった感情や想いを、リアルワールドで「記憶」にしていく。


遍在するデータであったが故に、ワイヤード内には無数の「レイン」が存在する。それが岩倉玲音の自我を混乱させ、「私とは何か」という問題を想起させていく。


「肉体の無意味さ」「肉体の意味」。
そもそもが肉体を捨て、ワイヤードの神となった男の手によってlainというプログラムに人格を与え、さらに肉体を与えることで生み出されたのが岩倉玲音という少女。
リアルワールドとワイヤードの障壁を破壊するプログラムとして生み出された玲音は、リアルワールドで「電脳的結合を介さず」に出来た親友のために、自分の存在と記憶を全ての人から消去することを選択した。


ここからがまたなかなかに良い話なんですが、是非ともその目でご覧になっていただきたい。ちょっと泣いた。そして最終話のタイトルが「EGO」というのをよく考えてまた泣いた。


人と人の繋がりとは何か。
「私」とは何か。
神とは何か。
愛とは何か……。


そんな人が人として生きる中での根源的問いかけを、高度情報化社会と絡めて描いたアニメ「serial experiments lain」。
正直かなり難しい作品だけど、それだけに観終わった後の感想は、これまで書いた中ではまるで足りない。
もう一度始めから観直すつもりだし、感想もまだまだ書く予定。


是非とも一度観てほしいアニメ。ハマるととことんハマる。

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