心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

あえて友人関係を利害で考えた「飲み」

結構ワイドな幅で考えてみることにする。


例えば知り合いを「飲みに行こうぜ」って誘った時に、「おう、いいぜ」と返されて飲みに行ったとしよう。



この時ある意味では、誘った側は誘われた側の時間を奪っていると言い換えられなくもないと思ったわけだ。
相手の時間を買っている、とも言えるかもしれない。

だからこそ根本的に「こいつと飲みに行くと面白いから」とか「真面目な話にも付き合ってくれる」とか、そういう誘われる側にとって時間に代わる充足がなければいけないわけだし、ぶっちゃけ「飲みに行くぞ!」って行った時に相手が二つ返事で「行くか!」って言ってくれる人は、かなり人間的に魅力溢れる人なんだと思う。

あとやたら誘われる人もね。

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ある種で人望のバロメータになっていて、「こいつが誘うんだから参加しよう」って思われるかどうかって、意外とデカイと思う。

ぶっちゃけた話「別に一緒に酒飲みたくはないなあ」くらいの奴もいるはずだ。
自分の話しかしない人とかね。



まあはっきり意識しておく必要はないんだろうけど、誘う側は誘われる側に「時間」という支払いを要求しているわけで(奢るってわけじゃないなら当然お金も)、それでも付き合ってくれる相手に対して相応のリターンを返すのが筋なんじゃねーの、くらいには思う。

例えばそれは知識だったり、心地よさだったり、相談に乗ってあげて心を軽くしてやるだったりするのだが。



経験則では、やっぱり自己中心的な人はこういう飲みの場には適さないと思われる。

言うまでもないよね。相手にとって一緒に飲むことでの利益がないからです。
自分の話しかしない、自分の満足だけしか見てない奴とは誰も酒飲みたくはないだろうという。


酒飲む場だけの話ではないけど。
常に周囲の人に何かを与えられるような人でありたい、とは思っている。


ただそれは自己犠牲の精神ではなくて、多少のエゴイズムも残した「私が満たされる中で周囲の人も少し満たされる」程度のことでいい。
それをお互いが持っていれば、お互いが満たされるってだけの話だ。


……この辺が一人でカウンターで酒飲んでて、話しかけてきた隣のおっちゃんとかやたら上手いよね。