心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

山田玲司著 「非属の才能」

こんばんは、一歩です。

今日は休日だったので、ゆっくり「艦これ」をしたり本を読んだりしていました。

ということでこちら、「非属の才能 (光文社新書)」の感想です。

この「非属の才能 (光文社新書)」。

親から言われたままに勉強して、いい学校に進学して、いい企業に就職して、結婚して……。
そんな幸せを「幸せ」だと思えない人に向けられた本ですが、逆にそれを幸せだと思える人にこそ読んで欲しいと思った一冊。



個性を殺していく教育現場と、安定した収入を得て経済的に困らないこと=子供の幸せだと盲信する親。これらが半ば疑う余地のないほど蔓延した考え方となっている日本では、自分みたいな人間は生きにくいことこの上ありません。
そういう違和感や疑問や苛立ちを感じている人には、最上の背中を押してくれる本と言えます。


そして前述したとおり、そうやって学校教育と両親の“優しい”アドバイス、社会の視線に疑問を持たず、それが幸福なんだと思って生きている人達にこそ読んで欲しいのは、この本を読むことで「本当に自分で選択した幸福」なのかの化けの皮が剥がれるから。
世間全体が提示する「幸せ」というカタチに、「自分」を無理やりおさめようとしていることに気付くから。



本著のタイトルにもある「非属」ですが、「どこに属してんの?」って訊かれた時に「○○高校です」とか「××という会社に勤めています」とか、そういう返事しちゃう時点でもう社会に疑問も何も持ってないと思うのです。
こういう人はその「肩書き」がなくなった時にアイデンティティが崩壊する。
「どこに属してんの?」って訊かれたら、「俺は俺だ。属するも何もない」くらいのことを言いたい。



ということでそういう個性ビンビン人間を徹底的に叩いて排除するのが今の日本なんだけど、それに負けないように個性ビンビンのまま今の日本でやっていくための考え方が7章「和をもって属さず」で色々あったので、引用しながら考察してみます。




みんなと違う生き方をしていると、群れからは「孤立」しているように見えるかもしれないが、案外、自分自身でいられるという意味では「孤独」じゃなかったりする。(201p)
自分は孤立はしてませんが、「孤独」は大好きです。
とか思ってたら、それは「孤高」じゃね?ということになり、我ながらなかなかカッコ良いと思っています。
201pでのこの一文、言ってみれば「孤高」のことかなーと思います。


群れる人ほど、孤独になりやすいのだ。(202p)
これは分かりやすいでしょう。群れるってことは周囲に合わせて自分を殺すということ。自分を殺すということは本当の自分を理解してもらう機会がなくなり、当然理解してもらえなくなる。孤独ですね。


自分の感覚で決めるのは大いに結構なのだが、自分が常に正しいかどうかはわからないという自覚だけは必要だ。(214p)
こうやって自分にしっかり釘を刺していく視点は極めて大事です。これがないと「またわけ分からないことを……」みたいになって、孤独になっちゃいます。


群れに属さずに個人の道に生きる人間ほど、逆に他者を尊重する責務があるのだ。(215p)
自分の「非属の才能」を認めて欲しければ、相手の「非属の才能」を認めてあげる度量が必要。


非属の才能を持ちながらみんなとうまくやっている人は、この自意識のコントロールがうまい人間である。(221p)
「非属の才能」というものが、「自己特別視」を生むという弊害がある。「俺は特別だ、俺は正しい、間違っているのはお前らだ」みたいな。
これを律するためには他者を尊重できなきゃいけないわけで、先に紹介した文とも共通する面があります。



話を聞くことができない自分人間は、会話に「でも」と「だって」が多い。否定から会話に入る人間が本当に多くてうんざりする。(228p)
はい、自分もです!!本当にたち悪い人だと「でも」「だって」を使わずに否定したり、話をすり替えて来たりするから気をつけよう。


自分のなかにある非属の才能をみんなにわかりやすく翻訳したり、調理したりすることが、幸福な人生を送るためには必須なのだ。
嫌われる変人はここで怠けている。
(234p)
じゃあどうやって「非属の才能」を用いて幸福に生きるかというと、これしかない。
どんなことでもそうですけど、適切な形でアウトプットできて始めて完成ですよね。



結構過激で極端な論法も出てきたけれど、今の自分と社会に疑問を持ってる人、今の自分と社会になんの疑問もない人、どちらにも読んで欲しい一冊です。


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