心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

自分が哲学を学んで得た5つのコト

お久しぶりです、一歩です。
今日は何故自分が哲学書を読むのかについて。「興味ないよー」って人にも楽しさを知ってもらいたいと思い、実際自分がどう影響を受けたのか書いてみました。
ではいってみましょう!



・視点が広がる
まず、基本的に物事の見え方が変わってきます。
哲学自体が扱う分野も広い(存在、時間、生命etc……)ので、大概のことに対して影響するはずです。
自分は「ジョジョの奇妙な冒険」が大好きなんですが、この作品は作中で時間や生命に触れることも多々あるマンガ。見え方が変わると劇的に深みも増してきます。
何も考えずに読めばただのバトルマンガが、生きる糧にまで昇華する。このカタルシスは変え難いですよ。



・物事を判断する材料が増える
哲学は答えの出ない問題について扱うことが多い分野です。「善悪」とか「正義」とか。
そういう哲学的な思考を身につけておくと、ニュースなどを見た時に「どちらが善でどちらが悪」などという単純な判断を防ぐことができるようになります。客観視できるようになる、とでも言えそうです。

例えば原爆ですが、当然原爆投下は悪であり悲惨な出来事でした。
ただ、あの2度の原爆投下によって戦争が終わったという「結果」は事実でもあります。
その点を無視して「原爆は悲劇だ、もう絶対に起こしてはならない」と言い続けることは、どこか空虚です。実際に体験した人とは重みが全く異なります。

原発廃止を巡る問題でもそうですが、原発廃止した後にどうやって電力を供給していくか、日本という国で行える電力生産の手段は何か、そのための予算は十分か?土地は?完成までの期間は?……。「原発廃止してから考える」では、現実問題を棚上げしていると思います。
こういう現実まで考えた「原発廃止論」を訴えている人は、多くないように思います。
……というかいるとしたらメディアは何故に取り上げないんでしょうか。こちらの方が生産性あると思うんですが。

「答えが出なくなる」とも言えますが、安易に答えを出してはいけない問題はたくさんありますから。



・「疑う」クセがつく
デカルトの「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」ではありませんが、言われたことを鵜呑みにするということはまずなくなります。
数学などと違い、一つの問いに対して真逆の回答をする人がいるのが哲学という学問。その二つを学ぶことで、どちらにも「絶対の正解」はないことが分かります。

自己啓発本を読んでいても、そのまま受け取るのはどうにも危ない。「これは本当か?」「自分には有効なのか?」そのような読み方ができると、グッと読書の質は上がります。

どんな物事も、十中八九正しいと思えることも、一旦は疑う。
これでよく分からない高価な壺を買うことはなくなるでしょう。訪問販売も怖くない。


・疑いの質も向上する
「いやいや、今までだって疑うことは疑ってたよ」という方々。哲学知ってるとその「疑い」の質が上がります。
疑いは否定とイコールではなくて、「再思索」とでも言う方が正確。
「いやいやそれは違うだろ」というただ否定する疑いではなくて、「いやいやもっかい考え直してみようぜ」という所に疑いを着地させることができるようになります。マイナスにするだけではなく、ゼロに戻すこともできる。
そこに下ろすために必要な知識や思考を、哲学はもたらしてくれるってワケです。



・「そもそも」という考え方が身につく
先の「疑いの質」と話が重なるんですが、自分が一番言いたいことはコレ。
考えている物事があるとして、その問題「それ自体」にフォーカスして考える意識が身に付くという点です。
「自ら前提を崩す」ということに対する無意識な恐怖みたいなものがあると思うんですね。そこを払拭できるのが大きい!
「俺が提案した議題だけど、そもそもこのテーマ自体に問題があるんじゃないか?」これを言える人は少ないです。

哲学はそういうゴミみたいなプライドを見事に取り去ってくれます。人の目を気にして己の過ちを認められないのは、本当にタチが悪い。
真のプライドとは、己と周囲の前進のために恥を捨てられることです。



いかがでしょうか。
「哲学は役に立たない学問だ」といわれますが、それは表面的に役立たないから。
もっと根源的な部分で大活躍する、それが哲学だと自分は思っております。

まずはお近くの書店で入門書、手にとってみては?

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