心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

なぜ「ペルソナ4」ではなく「ペルソナ3」なのか

先日「ペルソナ3 THE MOVIE」を観た流れで書いてみる。
劇場版「ペルソナ3」感想 - 心の雑草

唐突ですが、私は「ペルソナ4」よりも「ペルソナ3」のほうが圧倒的に好きだ。圧倒的に。


意図的だとは思うが、よりデザインもシナリオもポップにすることで大ヒットを記録した「ペルソナ4」ではあるが、個人的にはとにかくメッセージ性が弱かった。ストーリーの印象もまるで残らず、ラスボスも小物(トゥルーエンドではデカーい存在が立ちはだかるが、物語上パッと出な感じが否めず、やっぱり印象として残りにくい)。


ゲームや漫画、映画やドラマ。
とにかくストーリーを第一に考える私としては、やはり「ペルソナ3」こそ至高というわけで。

正直「ペルソナ4」はキャラゲーに成り下がった感さえ感じるのだ。
反論食らいそうだけど、いかにペルソナ3の物語が良く出来ていたかを比較しながら私のP3愛も溢れ出して行く感じで行く感じで。


ペルソナ4」において主人公達が戦うのは、マヨナカテレビといういわば別世界。空間的に現実世界と分断されている。

対して「ペルソナ3」の戦場は影時間という異時間。時間的に分断された世界ではあるが、この世界は現実世界に相違ない。


この差って結構大きいもので、「現実感」の演出に深く関わってくる。
P3、順平がエンプレス戦にて「命を懸けてるみたいじゃねえか」と気付き恐怖を感じるシーンがある。これは影時間とはいえ空間的には現実世界であることが重要で、「影時間中に起こったこととのパラドックスが発生すると、影時間終了後に死ぬ」ということを思い知るからだ。まるでゲームのような感覚でヒロイズムに酔っていた順平が「死」と向き合うこのシーンは影時間だからこそ意味があるし、仮に「マヨナカテレビ」内で同じ感情を順平が抱いたとしても、プレイヤーの心理としてはスムーズに理解しにくいと思う。



まず根本的に「命」という物に対しての向き合い方が弱いのだ、「ペルソナ4」という物語は。まあテーマが「生と死」であった3とは違って、「仲間・友情」みたいなものがテーマになっているからだと思うのだけれど(多分)。

ペルソナ4」の物語の軸として「連続殺人事件の犯人を突き止める」があるのだが、こんな直接的に人の死を比喩するストーリーの癖に、物語には「死の臭い」がどうにも脱臭される。
高校の先生とか死んじゃうけど、それに対する主人公達のリアクションがどうにもあっさり塩味。死ぬのか!?と思った主人公の妹菜々子も結局無事に助かるわけで。


一方「3」は敵であるシャドウというバケモノとの戦いの中で、殺人事件のような外側からではなく主人公達の自己体験という内面から「死」が描き出されていく。それは外的ではなく内的な発露であり、根源的であり、言葉としての「死」よりも直接的である。
その先に仲間である荒垣が死に、敵であったが順平と恋愛関係になったチドリも死ぬ(選択肢次第で助けられるけど)。
4を思い返すと、4のメンバーが対面する死は「3」のキャラクターに比べてはるかに弱いものであり、いっそのこと「連続殺人事件」なんてものを据えないほうが良かったんじゃないか、なんて思ったりする。中途半端に人の死を組み入れたことで、どうにも安っぽいものに見えるわけで。


「3」は色んな人々との交流、仲間達と駆け抜けた戦い、その先に主人公は「生と死」の意味を知り、最後には己の命を持って世界を救う(主人公は死んでEDとなる)のだが、このEDに帰結するための仲間との心のすれ違いやゲームシステムでもある「コミュニティ」の存在というのは本当に意味のあるものだったのだ。


「4」のそういったテキスト部分は、「ゲームとして必要」だから入れたみたいなレベルであって、「3」のように世界観そのものとの結合に弱さを覚える(だからといって面白くないわけではなくて、いわゆるギャルゲーの序盤のワイワイ楽しい会話みたいなものではある)。


つっても、やっぱり「ペルソナ4」とは何を伝えたかったゲームなのか?と思う時は今だにあるわけで。
友情や仲間の尊さ、大切さなんてものは「魁!男塾」でも読めば分かるし。何よりアトラスっぽくないんだよね、4のシナリオは。


「命」とかそういうレベルの主題を描いて欲しいんです、私は。

「ペルソナ5」が果たしてどうなるか。
期待と不安が入り混じりつつ。




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