心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

Top of the world

職場の学生アルバイトの一人がTwitterでつぶやいた言葉が、(ごく狭い一部を)震撼させている。


「Top of the world」


ざわ…!圧倒的語感っ…!
会話の脈絡を完全度外視したタイミングで繰り出されたことと、その言葉として発した時の気持ち良さとでだいぶネタにされているが(私も気に入って使いまくっているが)、せっかくなのでこの言葉について色々考えてみようと思う。

笑いなしでちゃんと考えますから!許して!



「Top of the world」(以下TOW)。
直訳すると「世界の頂点」というところか。なんと力強い言葉だろうか。早速考えていこう。

哲学的アプローチからのTOW

私の好きな哲学者にジョージ・バークリーという人がいる。彼が言うには、世界には物質は存在せず、存在するのはそれぞれの人間の「世界を知覚している精神」と「神」だけだという。彼は聖職者でもあったので、神を証明するためのロジックだったりする部分もあるのだが。それを独我論なんて言われて批判されたりした人物だ。

このバークリーの考え方というのは、実に仏教的な思想でもある。仏教においても「唯識」という考え方があって、何もかも物質なんて存在しない、それらや感情やその何もかもは全て「心の中」だけに存在する、なんてものだ。

仏教の考え方が好きな私がバークリーを好きなのは、当然かもしれない。


それはさておき、独我論的・唯識的に世界を解釈すると、それぞれの人間はそれぞれ自分だけの世界を生きている。「私が生きている世界」と「この記事を読んでいるあなたが生きている世界」とは、それぞれがそれぞれの精神の中に存在するものなので厳密には異なるというわけだ。
自分だけの世界。
自分だけの世界の頂点は誰か。
当然自分なのだ。つまり

Top of the world!!

というわけである。


生きるためのTOW

さて、この「Top of the world」という言葉に私が何故か異様にハマってしまった理由を考えてみるに、やはりこの言葉が強く前を向いた言葉だから、だと思う。

「オレがTOWだ!!」

と言えるほどなら、それは自分に自信があって、周りの人たちを引っ張って行こうという意志や、自分の力で世界に道を切り開こうとする煌めきがそこに見える。
決してネガティヴ一辺倒の人間からは出てこない言葉だろうし、そんなこんなでネタにしていじりながらも、私はTOWを繰り出した後輩に「やるじゃねーか」なんて思ったりしている。

前項の哲学的アプローチも踏まえると、ある程度確固とした「自分の世界」がなければ出てこない言葉のはずなんです、TOWは。……まあ、彼の世界は少々独特なのだが。


カーペンターズのTOW

「Top of the world」を語るにおいて、カーペンターズの名曲を外してはいけないだろう。絶対聴いたことあるレベルの曲だ。


ちょっとGoogle先生で和訳を探してみたら、なんか素敵すぎて感動してしまった。

世界に願うこと全てが
現実になっていく
理由は分かっている
貴方がここにいるから

世界の頂上から創造物を見下ろしている
理由はひとつ
貴方が教えてくれた愛が
私を世界で一番高い場所に導いてくれるから


こんな感じ。いや……カーペンターズ凄い。あんなにライトな感じの曲調なのにこんなにロマンティックだったとは。
愛が世界の見え方を変える。
世界全てが自分の物になったように見える。

うーん、素晴らしい歌詞だ。


まとまってないようでまとめ

とにかく言いたいことはひとつなんですけどね。
人は誰だって認識次第でいつでもTop of the worldになれるってことだ。

必要なことも、ひとつだけ。
ただ、自分がTOWであることに気付けばいい。知ればいい。



Top of the world。