心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

なぜ私が「話が長い人」が嫌いなのか

私は「話が長い人」が嫌いだ。ツイッターで「嫌いとか言うのは簡単だよ、最底辺だよ」とか語った矢先でやりにくいが、とにかく嫌いなのだ。
まあ「嫌いだ」だけ書いて終わるとマジで最底辺になってしまうので、つらつらと書いてみよう。


要するに話が長い人って潜在的に自己中心的というか、そういうところがあると思うのね。
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どうして嫌いかと言うと、彼らは自分の話したいことを話すことを優先し、「聞く側」への配慮が足りないからだ。今風に言うと「空気読めない」とでも言おうか。まあ自分から言わせてもらうとそんなレベルじゃないんだが。

「話が上手い人」と「話が長い人」は違う。
上手い人は、「話を長くも短くも出来る人」、さらには「相手の心情を読みとってそれを自在にコントロールできる人」だ。「自分が話したいことを話す」のではなくて、「相手が聞きたいことを話す」というのが近いかもしれない。

結局「話が長い人」って自己中心的な人が多いんですよ、経験則において。
何かの物事を話す時には丁寧に時系列に沿って全部話してくれるんだけど、聞く側にとって必要ない部分が半分以上なんてことは普通にある。
聞く側のことを考えてない時点で自己チューってやつですよ。
んでなんか反論したりするとですね、自分側の正当性を言葉を連ねて連ねてなんとか押し切ろうとしたりする。個人的にはこれが一番イヤで。内容は割とペラいから聞く気にならないし。

日常会話自体もメリハリないからダレる。緩急つけたら面白い話だろうにとか思ったりしてね。

んー。
なんつーか、単純に「頭悪そう」とか思います。頭より先に口が動いちゃってるみたいな。


幸いにも聞いて欲しいことを「聞いてくれる」相手がいるんだから、配慮ぐらいしましょうや、話が無駄に長い人は。