自分が言う理、これは「正しいこと、正義」というような理とは少し違って、新しいこと、常識外の思考も取り入れていくことで、いわば新しい「理」を作り出す作業を指す。
端的に言うと「理の外にあるものを理にする、あるいはしようと試行錯誤する試み」に意味を覚えているということになる。自分の中では特に食事に関して顕著だ。
和風のだし醤油系の焼うどんにはラー油をかける。
温かいおそばにブラックペッパーをかける。たまにはワサビになる。
ギョーザには何も付けない。
そういう、常識からすると片足ずれたような発想を隙あらば試し続けていて、その中で「自分の中ではかなり美味い食べ方」に出会う。上の3つはやれる環境ならばほぼやっていることで、これは自分で作った自分の「理」の一部だ。
元来人と同じことをやるのが嫌いな性分だから、新しく格ゲー始めようと思ったら一人目のキャラクターは大体使い手の少ないキャラに落ち着く。モンハンも周囲に使い手が少ない武器を触ってみたりする。
いわゆる天の邪鬼なのだが、おかげさまで比較的得にくい感覚や世界に出会えることが多い・・・と思う。そんなんだから和服で日常生活過ごしたいんだけど高くて買えなくて悶々としてる。誰か着流し格安で譲ってください。
自分のいう理は「社会のルール」なんかとは断じて違うどころか決して相入れなくて、なんというか一般のイレギュラーを個人のレギュラーに再構築して埋め込んでいく感覚というか、そういう感じなのだ。
やっぱりまとまりませんね。
でもそういう雰囲気である。
「善ー悪」とか「いいー悪い」とか「普通ー普通じゃない」とか、そういう二元論的な地平に私の「理」はなくて。
むしろそういう二元論の中においてマイナスとされる面から、自分の目にはとんでもなく輝いて見える何かを発掘していくことで、自分だけの「理」を生み出し続けている。