まだ午前中だ!
おはようございます、「げ」です。
ごあいさつはこの辺にしといて、もうそろそろ「です、ます」調で文章を書いていくことに限界を感じてきているので、今回からは「だ、である」で攻めていきたいと思う。
大学で論文書いてたときも、ツイッターで修羅のごとくつぶやくときもそうだもんなあ。いつも通りのがいちばんってことで。
じゃあ今回は「敵を作らないと生きていけない人」について。
こんなに迷惑な人はなかなかいないけど、少し本人が変わればこんなに大活躍する人もなかなかいないってお話。
自分は今までの人生24年ばかりの中で、思い出しうる限りで5人ほどこういう人種と出会ってきた。
「相手の否定」によって「自己を肯定」する人種を。
こういう人が同世代、あるいは部下だとしたら自分にはさほど問題は降りかからないのだが、先生や上司の場合、それはそれはバイオレンスな事態が訪れる。
彼らは相手の「ダメな点」を見つけ出し、突くことに非常に長けている。そしてその力によって、自分の「ダメな点」をうやむやにして、自分は攻撃されないようにする。で、自分がミスしたりしても「ごめんちゃい」みたいな感じで済ませる癖に、人のミスは「どうしてそんなミスしたんだ」みたいに徹底的に叩き出す。
あまつさえ誰か一人ターゲットをロックオンすると、半ば盲目的に「あいつは~だ、だからダメなんだ」と、客観的情報に自身の感情という主観性が組み合わさって、人の話を聞かなくなるのだ。
無意識化で自己保身が働いているため、自分の気に入っている相手には「あいつは~だからダメなんだよ。お前もそう思うだろ?」という具合に、味方を増やそうとする。そうやって自分の敵を減らそう減らそうとする。
上司や先生にそんなん言われたら、とりあえず否定はできねえだろ。
そういう自分の社会的立ち位置も美味いこと利用しちゃってたりするのだ、彼らは。
自分は八方美人に定評があり、ターゲットにされたことはないのだが、された人からの相談は結構受けたりする。難しい問題だ。解決に必要なのは「される人」ではなく「する人」が変わる必要があるから。
とまあ散々に書いてきたのだが、こういう人種の人は過去にいろいろあったんじゃないかな―とか邪推したりする。
「相手の否定」によっての相対的な自己肯定しかできないってことは、自身に対しての「絶対的な自己肯定」のファクターが足りないってことなんじゃないか、とか。
「俺はこれだけは人よりできる!」みたいなよりどころがあれば、わざわざ人と自分を比べる必要はない。そういうものがない、あるいはそういうものを見つけようとしてこなかった反動。それがある種のゆがんだ自己肯定のシステムを構築したのではないか。
…僕ですか?僕は記憶力がかなり優秀で、「知識を得ることと得ようとすること」そのものが絶対基盤の一部とは言える。他にもいろいろあるけど。
ただ初めに書いたとおり、こういう人たちは「惜しい」位置に立っている人種ともいえる。
「ダメな点を見つけるのが得意」ってことは、それを自身の武器として使うのではなくてアドバイスの材料にすればいい。相手の弱点が見えやすいってことは、どこを直したら相手が成長するのかよくわかるってことだ。
「だからダメなんだよ」ではなくて「こうすれば上手くいくんじゃねーか」を一緒に考えていく材料を集めるのが得意な人種なのだ。
剣ではなく杖として振るえ。戦士ではなく僧侶となれ。
これを読んで「あー自分当てはまるかもなー」って人は、考え直してほしい。
あなたのその能力は、毒にも薬にもなるということを。