おはようございます、「げ」です。
もう少し正確に言うと、「生きる理由の見つけ方」を……。
そんなわけでブログお引越し後の初の記事は、ちょっとハードな話ではありますが
「生きる」
こいつをテーマにしてみたいと思います。
相変わらず日本の自殺者数ってのはすさまじいもので、まあそれだけ「死にたい」と思っていた人がいたということだし、現在進行形で「死にたい」と思っている人もたくさんいるという証明の数字でもあるわけだ。
哲学者や小説家やミュージシャンにも、最終的に自ら命を絶った人たちはたくさんいるのだけれど、なんというか彼らは現代の何万人もいる自殺者とは、すこし動機が異なるのだと思っている。
彼らはその道の先にある「何か」を探しに出かけた結果、帰ってこれなくなったというニュアンスだ。哲学者は真理を、小説家やミュージシャンもまた、創作の中に真理を見つけつつあったのかもしれない。
でも現代の自殺者の中で、彼らのような動機は少ないのは間違いない。
金銭的、社会的苦しみ。そういう理由がほとんどだと思う。
どちらも死んじゃってるので良いことではないんだけど、せっかく現代に生きているので、現代の人に即して「生きる」ことについて思いを巡らせてみる。
簡単に言ってしまうと、「生きる理由」を見つけるセンサーを作ればいいだけなのだ。自分はそのために哲学書や思想書を読んでいるところがある。
「生きる理由」を見つける感受性を高め、「死ぬ理由」を見つけないシステムを作る。
難しいかもしれないが、そういうことを日々行っていればいい。
そのために自分がおすすめしている本がこの「平常心のレッスン」。
仏教の思想からアプローチしている本で、「ありのままを受け入れる」ことがテーマとなっている。
例えば、「明日モンハン4を一緒にやる仲間がいる」。
例えば、「この前行ったラーメン屋がすごく旨かった、また行きたい」。
例えば、「窓開けたら鳥がさえずってて気持ちがいい」。
これらを「生きる理由」として認識しているか、そういう話なのだ。
自分にとって「生きる理由」というのはそういうものの積み重ねであるわけで、もちろん「将来は自分の店を持つぜ!」という野望はあるが、なんでも「大目標」と「小目標」を組み合わせる必要がある。それは生きる理由だってそうだ。
その上で「死ぬ理由」になりうる要素を質的に変換していく。
最近その観点からすごく面白い本を見つけたのだけれど、それがこの「独立国家の作り方」。読み終わったら感想書こう。
極端な実例ではあるけど、「一切金がなくても現代社会で生きていける」ということがわかります、はい。まあそうでなくても、自分たちがどれだけ現代社会のルールに無意識下に洗脳されているか分かる良書。
歴史とか哲学とか少しかじって考えれば分かるのだが、「生きる」ことと「社会・金銭」とは、密接に関わっているように見えて切り離すことも容易にできるのだ。なぜそれらを繋いだかを考えれば、「生きる」ことに必要な状態だと刷り込めば、人類がいる限り利益を得ることができる人がいるからに過ぎない。
……まあ、完全に切り離すとそこそこ困るのも事実なので、その距離感は探すしかないのだが(これは物理的なものではなく、各々の精神的距離感の話である)。
「金がない!やべー」ではなくて、まずは平常心で「金がない」という事実を受け入れる。そしてその中で楽しくやることを考えてみる。自分はおごってくれる人を探したりします。若干クズだな俺。
「学校でいじめられてて辛い」。まずは頑張って感情を排して、正面突破する方法なり迂回路なりを探してみる。空手習ってみるのとかお勧めですね。自分も強くなっていくし学校外に異なるコミュニティが構築されていくし一石二鳥。
進路的にさほど行く理由がないなら辞めちゃってもいいと思う。親は間違いなく反対するけれど親のために生きてるんじゃないしね。
ここまで書いてきて、以前「悩まないための考え方4選」というそれっぽい記事を書いていたことを思い出しました。こちらも読んで頂けると嬉しい限り。